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天使猫

「えっ。うちの子、可愛くない…?よもや、天使猫…?」
「…しっ。当局に知れたら天使猫税を取られる」

なんてバカバカしい会話をよく夫としておりました。
タイトルはそこから。


2017年12月15日金曜日。
飼い猫が、私の腕の中で亡くなりました。


流動食を飲める量が急激に減って、それから急に弱っていきました。
今思えば少しずつ壊れた土手から水が流れるように命が流れ出していっているのが分かっていて、でも認めたくなくて水が漏れていると思うところになんとか土を盛ったり戸板を立てたりしているような感じでした。
仕事から帰ってくるときは毎日不安で、まず玄関に置いてある猫トイレを見て排泄があったことを確認し、そして大きな声で名前を呼んで所在を確認するのが日課でした。
猫は私の姿を見つけると「なに?」と言うように立ち上がって伸びをして私の方に来てくれて「よかった…」と私の方がへなへなしていました。

火曜に病院で点滴と痛み止めを打ってもらい、水曜になっても状況が改善せず、あまりにも動かなくなってきたので不安で、本当は金曜に行こうと思っていたのを早めて木曜にまた病院にいきました。
先生(水原希子似の美女医)は猫に触れて少し不安げな顔になり、体温を測りました。

「神崎さん。今この子の体温は36度しかありません。これは正直よろしくないです。なんとか体温を上げたいので、点滴も温めてから入れますね。痛み止めも、火曜に打ったのは長期間用だったんですが、即効性のものを打ちます」

そうだったのか。痛み止めが効くのが遅かったのかもしれない(でも今までは長期間用でも、打ったら遅くとも翌日には効いていたのを私はこのときあえて考えないようにしていました)。
心臓の音は…と聞いたら、先生は笑って、

「しっかりしてます」

と言ってくださいました。猫の心臓はとても強く、前に危なかったときも先生が「この心臓ならもう少し頑張ってくれるかな」と仰って、本当にその通りだったので私はその先生の言葉が聞けてほっとしました。


亡くなる前日の夜は夫が猫と一緒に寝ました。あとから聞いたのですが、彼は「朝までもたないかもしれない」と覚悟していたとのことでした。私は次の日に一緒に寝るつもりでした。
そして金曜の朝。
一縷の望みをかけて水と流動食をあげてみましたが、喉が動くことはなく、虚しく流れるだけでした。
私は行っても仕事にならないのはわかっていたので仕事を休むことにし、夫は会議があるため後ろ髪を引かれる思いで仕事に行きました。

さあ、パパが帰ってくるまで頑張ろうと声をかけ、しばらく抱っこして撫でてから病院が開くまでの時間着替えをしたり夕食の支度をしたりして、数分おきに猫の様子をみていました。もう寝返りも自分で打てなくなっていて、触って鼓動や呼吸を確認しないとわかりませんでした。
その途中無音も寂しいので、音楽をかけていました。
なんとなく選んだのは「千と千尋の神隠し」のサントラでした。
夕食の下ごしらえは半端でしたが、なにか気になって猫のところに行ったら脈が弱くなっているような気がして慌てて抱き上げました。
私何やってたんだろう。もっと抱っこしてあげよう。
そう思って体育座りをして猫を抱っこして、声をかけていました。
猫はもう舌がなかったので鳴くこともできませんでしたが、私が抱っこして撫でているとゴロゴロいってくれていました。

その日は曇天だったのですが、ふと日がさして猫の顔を照らしました。
ああ、晴れたんだなと思いました。
ちょうど私のいた位置から外を見ると掛時計が目に入るので、時間を確認しました。あと数分で病院が開くなと思いました。
そして猫の瞳に視線を戻しました。
これだけはどんなに病み衰えても変わらなかったまん丸の綺麗な緑色の瞳。
その瞳から急に黒い部分が消え、一面翡翠色になりました。
えっ。
翡翠色の瞳を日の光が照らし、私は綺麗だと思いました。
本当に綺麗でした。
そして右手でずっと確認していた脈の感触が確認できなくなりました。
あの翡翠の瞳は、瞳孔が開いたということだったのでしょう。
それから何度呼んでも応えてはくれませんでした。
この日晴れたのは猫が逝った前後のわずかな間だけで、天国に行くその瞬間を私は見たのでした。
18歳6ヶ月。夫の連れ子だったので私と暮らしたのは4年半あまりでしたが、9歳で亡くなった旦那猫の倍以上の年月を生きてくれました。

それから病院に行って確認してもらいました。万一…という一縷の望みをかけていつもの猫用キャリーではなくブランケットにくるんで人間の赤ちゃん用のスリングに入れ、冷えないようにして連れていきましたが結果は変わりませんでした。
先生は、

「神崎さん。今はそう思えないかもしれないけど、抱っこで逝けるのは幸せよ。
はっきり言って、この状態になるうんと前までにほとんどの猫ちゃんは命を落とします。こんなに頑張った子、いないです」

と言ってくださいました。
ピーク時に4キロ以上あった体重は1.4キロまで減り、舌は完全に壊死して溶け、口の中もおそらく喉も腫瘍でボロボロ。そんな状態でも頑張って流動食(自力で飲むことはできなかったので、シリンジに入れて口の端から流し込んでいました)を飲んでくれて、おトイレもほとんど最期まで自分で行っていました。
私はこれでよかったのか、他に道はなかったのか、できることはないのか、どうにかならないのかとただ必死に考える日々でした。要するに何もできませんでした。私がしたことといえばごはんや水をあげること、病院に連れて行ったこと、様子を見ることとか撫でたり声をかけたりするとか、そんな飼い主がする当たり前のことだけでした。
猫の症状と戦う方法を模索してくださったのは先生。保険のきかない猫の治療費を文句ひとつ言わず全て出していたのは夫。
それなのに猫は私の「せめて独りで逝かせたくない」という望みを叶えてくれました。幸せだったのは、私の方でした。

私のしたことは、もしかしたら猫を長いこと苦しめていたのかもしれません。
彼女の寿命は、本当は8月末に入院したときに尽きていたのかもしれないなと思います。
でもそこからなんとか頑張ってくれて、私たちに一緒に過ごす時間をくれました。
これで良かったのかと悩み迷う私でしたが、猫がいつも私の方をみてゆっくりまばたきをして(猫の「大好き」のサイン)、舌のない状態で流動食を飲むなんてつらいに決まっているのに、私がシリンジを用意して座ると自分から膝に乗ってきてくれて、そしてそして最期の瞬間まで撫でるとゴロゴロ喉をならしてくれたというのが私にとっての真実でした。


本当に可愛い猫でした。
喜怒哀楽の怒が完全に欠落していて、おっとりしていて、うちにきてくれたお客様にも可愛がってもらいました。
いろんなお子さんの「マイ・ファースト・猫」にもなりまして、怖がって逃げる子もいましたが大概は「猫は可愛いものだ」と思ってもらえたようでとても嬉しかったです。
うちの子のことはどうやら自分の子だと思っていたのか、普通猫は子供が嫌いであまり自分から寄っていくことはないそうなのですが、自分からすり寄って行って、尻尾を引っ張られても嫌がるそぶりを見せるくらいしかしていませんでした。
可愛がってくださった皆様、ありがとうございました。


今年の3月に撮った写真。
もうすぐ18歳になろうとは思えない美しい猫。という親バカです。

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かんざき * 日常アレコレ * 23:26 * comments(2) * trackbacks(0) * - -

コメント

かんざきちゃんが頑張りたかったから頑張ったように、猫ちゃんも頑張りたかったから頑張ったんだと思います。
どれだけお膳立てされたって、能力と意思がなければ「頑張る」ってできないもの。
「よくがんばったね」とご冥福をお祈りいたします。
Comment by あり @ 2017/12/18 11:15 AM
ずいぶんレス遅くなりました。ごめんなさい。
まだ「猫のいない生活」というのに慣れません。

猫は本当に本当に頑張ってくれました。
今頃きっと天国で大好きな旦那猫と一緒に丸くなって寝ているんだと思います。
ありちゃんも可愛がってくれてありがとうね。
Comment by かんざき @ 2017/12/21 10:44 PM
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